水道の歴史

歴史を通じて人々は、より便利に水を取得して利用する装置・機関を考案してきました―。

今からおよそ2300年前のローマで世界最古の水道、『ローマ水道』が建設されました。古代ローマでは、都市や工場地に水を供給するために、数多くの水道が建設されました。これらの水道は古代の土木建設でもっとも偉大な業績のひとつであり、古代ローマ滅亡後1000年以上も、これに匹敵するものは作られませんでした。現代においても、この古代の水道は多くの都市で実用に供され、実に2000年以上も水を供給しつづけています。

ローマ人は帝国内のどのような大都市でも、水道を建設。中でもローマは最大の都市であり、500年かけて建造された11の水道から水が供給される、最大の水道の集積地でした。

一方日本では、室町時代後期(戦国時代)相模の戦国大名北条氏康によって小田原城城下町に小田原早川上水が建設されたのがはじまりでした。さらに1583年(天正11年)には豊臣秀吉によって大坂城城下町に日本初の下水道太閤下水(背割下水)が建設され、その後、1590年(天正18年)の小田原の役において水道を目の当たりにした徳川家康など諸大名により、江戸に水を供給する神田上水や玉川上水などを始め、全国に水道が建設されました。これらは基本的に各戸給水をするものではありませんでしたが、江戸の上水は当時世界でも最も進んだ設備だったと言われています。

明治に入ると西洋の近代的水道が導入され、公衆衛生の確保のため都市部を中心に上水道の敷設が行われていき、第二次世界大戦期には一時停滞するものの、その後の高度経済成長期には飛躍的に普及して、おおむね1975年(昭和50年)ごろには一部を除き日本全国に上水道網が完成しました。また、経済成長や、風呂・洗濯機などの普及に伴って生活用水、工業用水の需要は大きく増加し、各地でダムの建設など、水源の確保が図られました。

上水道と下水道

上水道の歴史

水道のルーツは古代地中海沿岸諸国とされる。当初は、深いところにある井戸の水を遠くに運ぶための水路であったと考えられている。古代ローマ人は後世「ローマ水道」と呼ばれることになる巨大なネットワークを構築したが、中世以後衰微する。

日本では、16世紀半ば、北条氏康の小田原支配時に早川から水を引き、小田原城下に飲用として供した小田原早川上水が最古の水道と考えられている。豊臣秀吉の小田原攻めに参陣した諸大名たちは、この上水を見て、自領の上水開設の参考にしたものと考えられている[10]。徳川家康もその一人で、1600年頃の江戸の都市建設のために井之頭池から引いた神田上水をはじめ、その後、玉川上水、千川上水などが江戸の町に引かれていった(後に青山・亀有(本所)・三田の3つを加えて「六上水」と称した)。現代から見れば、浄水施設や各戸給水がないという問題点があったものの、当時世界でもっとも進んだ設備を有していた。日本で現在も使われている最古の水道は、熊本県宇土市に在る轟水源を水源とする轟泉水道で宇土藩初代藩主細川行孝が造り寛文3年(1663年)に完成したものである。始めは丸い土管の水道管で造られていたが、完成後100年程して6代目藩主細川興文のとき丈夫で長持ちする石の水道管に改修され今日に至る。

水道の近代化は1787年のパリで蒸気式揚水用ポンプが使われ、1829年にロンドンで砂濾過池による浄水設備の設置以降のことであり、鉄製パイプによる水道管の開発など19世紀のヨーロッパで急速に発達した。

日本の近代的水道は、1887年(明治20年)10月17日に、横浜の外国人居留地で給水されたのが始まりである。当時居留地では、井戸を掘っても塩水が混じり、飲用に適さなかった。そこで当時の神奈川県知事は、英国陸軍工兵大佐の技師H.S.パーマーを顧問に招き、資材も英国からの輸入に頼る形で、相模川の上流に水源を求めて近代水道の建設に着手した。1885年(明治18年)に始められた工事は、1887年(明治20年)9月に竣工し、翌月から給水が始められた。近代水道は、1890年(明治23年)に水道の全国普及と水道事業の市町村による経営を内容とする水道条例が制定されたことにより、都市部で急速に実用化された。旧来の水道設備が充実していたために整備が遅れていた東京でも、1898年(明治31年)には多摩川から淀橋浄水場を経由して、市内へと配水する設備が完成した。

下水道の歴史

下水道の歴史は古く紀元前にまで遡る。しかし、工学的汚水浄化は近代以降を待つ必要があった。

  • 紀元前5000年頃 メソポタミアの都市国家群で、排水溝が築造される。
  • 紀元前3000年頃 モヘンジョ・ダロで、水洗便所と排水溝でつながった地下浸透ますが築造される。
  • 紀元前2000年頃 モヘンジョ・ダロの下水道設備が、路面下の管路枝網や人孔、沈殿池を備えるまでに発達
  • 紀元前600年頃 ローマでクロアカ・マキシマが築造される(かつてはこれが最初の下水道とされた)
  • 紀元前312年頃 ローマ水道が築造される(かつてはこれが最初の上水道とされた)
  • 645年 大化元年の難波宮遷都で排水溝が築造される。以降の都でも遺構が発見されている。
  • 1370年 パリに本格的な下水道が築造される。(これはのちにヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』(1862)の舞台にもなった。)
  • 1583年 大坂城築城に伴い城下町に太閤下水(背割下水)が建設され、現在も使用されている。
  • 1760年頃 下水を耕作地へ導き入れ、ろ過・浄化させる灌漑法が最盛期となる
  • 1760年-1830年 イギリスの産業革命。以降、人口の集中に伴う生活排水対策が、都市の課題となる。
  • 1854年 ジョン・スノウがロンドンでのコレラ流行が、汚水の侵入した特定の井戸を使用したことが原因であることを疫学的に証明した。公衆衛生上、汚水排除が重要であることを裏付けるもの。
  • 1867年 ロンドンのテムズ川沿いに大下水道管が完成する。
  • 1871年 横浜で陶製管下水道が設置される。
  • 1882年 活性汚泥法の基礎となる研究が開始される。
  • 1890年頃 イギリスで薬品沈殿法、普通沈殿法による処理が行われる
  • 1895年 イギリスで腐敗槽が発明される(自然腐化後、1〜3か月かけて固液分離する)
  • 1900年 旧下水道法公布。当時の下水道は雑排水を排除する単なる排水管であり、水洗便所は許可が必要だった。
  • 1908年 アメリカで散水ろ床法の処理場が建設される
  • 1912年-1915年 アメリカ、イギリスで活性汚泥法が実用レベルに確立される
  • 1923年 日本最初の下水処理場、東京三河島汚水処分工場(現在の三河島水再生センター)が運転開始]。標準散水ろ床法。
  • 1930年 日本最初の散気式活性汚泥法処理場として、名古屋市で堀留処理場、熱田処理場(ともに現役)が運転開始
  • 1934年 岐阜市で日本最初の分流式下水道が事業着手。
  • 1940年代 第二次大戦による経済的疲弊で、低コストの酸化池(ラグーン)法の適用が増えるが、多くはその後改廃された。
  • 1958年 下水道法公布
  • 1960年頃 都市化と化学肥料増産により農村還元できない余剰ふん尿が急増、し尿処理施設の建設が進められる。
  • 1960年 西ドイツで回転円板法が開発される
  • 1961年 9月10日を全国下水道促進デーとする。選定理由は台風シーズンの二百二十日から。当時の普及率は6%。
  • 1972年 初の流域下水道(大阪府寝屋川流域下水道)が工事に着手。
  • 1972年 下水道事業センター(日本下水道事業団の前身)が設置される。
  • 1980年 普及率が3割を超える。
  • 2001年 普及率が6割を超え、一定の進捗を来したことなどから、9月10日を下水道の日に改称する。

中水道?

上水と下水の中間。生活排水や産業排水を処理して循環利用するものを指す。
雑用水とも呼ばれ、その用途は水洗トイレの用水、公園の噴水など、人体と直接接しない目的や場所で用いられる。

問題点

既に普及している上水道と異なり、管路網などの送水設備を整備する必要があり、使用用途も限られるため、スケールメリットに劣り、高コストとなり易いなどの問題があるため、一部大規模施設内における設置及び運用を除き、現在のところ殆ど普及していない状況にある。

循環方式

  • 建物内循環方式: 単独の建物ごとに施設を設置するものである。
  • 地区循環方式: 都市再開発などで、地区内の排水を集め複数の建物に供給するものである。
  • 広域循環方式: 下水処理場の処理水を利用するもので、工業用水道と施設を共用するものも多い。
処理施設について
  • 処理施設の運転・保守点検は、労働安全衛生法などの基準に従うこと。
  • 害虫の発生を阻止し、清潔に保つこと。
  • 施設から異臭がしないこと。
  • 水槽清掃時は、有毒ガス・酸素濃度を測定し換気に努めること
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